イントラムロスから乗ったトライシクルでサンチャゴ要塞まで来ると、運転手の青年はここで終点だとは言わずに、中を見ておいで、僕は待っているからと言った(英語で)。中は1時間もかからずに見れるよ、その待ち時間は300ペソでいいよと言っていた。しかし、この1時間というのは、彼の作り話(と多田さんと僕は思っている)で、要塞に入ってから入り口の馬車に乗ったところ2時間かけて観光をさせられた。この青年は、馬車の終点で待っていて、2時間の待ち時間で、1000ペソだよ!と言って来た。仕方なく払ったが、多田さんと僕は、馬車のおじさんとこの青年はこうやって観光客から金を巻き上げるグルなのだと未だに思っている・・・。

サンチャゴ要塞入り口
サンチャゴ要塞入り口
イントラムロス 1
イントラムロス 1
イントラムロス 2
イントラムロス 2
イントラムロス 3
イントラムロス 3
イントラムロス 4
イントラムロス 4
イントラムロス 5
イントラムロス 5
イントラムロス 6
イントラムロス 6

サンチャゴ要塞の中に入ると、要塞の中と、イントラムロスの街を観光させる馬車乗り場があった。すると、フィリピン人のおじさんが声をかけて来て、ぜひ乗りなさいみたいな事を言った。1500ペソ(¥4500ぐらい?)で乗れると言うのだが、フィリピンの別な人に聞いたところ、フィリピン人は、100ペソも出さないで乗ることができると言うことだった。フィリピンの人々は、観光客をボッタくることは、裕福な人々から、貧しい人々に金は回るべきだとというコンセプトをもっている(にちがいない)。この後でも語ろうと思うが、ジョリービーというファーストフード店に行った時も頼んでいないハンバーガーが来て、余計にお金を取られた。日本人は海外ではカモだと思われているのだ・・・。

サンチャゴ要塞の中には16世紀から存在する当時の要塞の壁が残っていたり、ホセ・リサール記念館等があったが、馬車のおじさんの英語の説明を聞くのが楽しくて、写真は取らなかった。残念ながらお見せできない。

馬車のおじさんは、観光客を相手するのが上手で、サンチャゴ要塞の中や、イントラムロスの街並みを英語で説明してくれてた。実を言うと僕はホセ・リサール公園を歩いたあと、ヘトヘトになり、歩くのが億劫になって、おじさんの話はあまり聞いていなかった。しかし、多田さんは興味深げに話を聞いていた。

サンチャゴ要塞の牢獄
サンチャゴ要塞の牢獄

この写真は、サンチャゴ要塞の牢獄の写真だ。第二次世界対戦の時に、日本軍が利用して水を流し、牢獄の中の捕虜を水死するのに使用した、と馬車のおじさんは言っていた。フィリピンの人々にとって、日本軍の占領時代は、心思わしくない。

イントラムロスを回った時、第二次世界大戦の時の大物が泊まったホテルがあそこだ、と指差して誰だと思う?と言って、英語でヒントはGHQだと言っていた(たしか)。僕はさっぱりわからなかったが、博識な多田さんは「マッカーサーだ!」とズバリその大物を当てていた。こう言う時に、歴史の知識が外国人とのコミュニケーションに役立つのだ、という瞬間だったと思う。

更にイントラムロスを回ると、ホテルや、ビジネスビルディングが見えたのだが、事あるごとに「昔、あのホテルのオーナーは日本人だったのに・・・今は、中国人だよ(または韓国人だよ)」と日本人の多田さんと僕に言ってきた。そして、SONYよりもサムスンで、日産よりも外国車だ、と日本の凋落ぶりを口にした。

この旅をすることになって、知ったのだが日本の経済力はもはやアジアのナンバーワンではない。タイもベトナムもフィリピンもめまぐるしく経済成長を遂げて、日本のブランドは外国のもので塗り替えられている。世界で戦うためのグローバリズムに遅れている、と言う事を外国の人々は知ってしまっているのだ。多田さんが2000年にフィリピンへ来た時には、アジアの人と言うと、日本人という意識がフィリピンの人々にあったそうだが、この旅ではフィリピンの客引きの人が「アニャハセヨー」と韓国語で挨拶して来た。もはや、アジアの人とは、中国か韓国をさすようになっており、日本人はフィリピンの人々の意識から遠のいているのだ。

馬車のおじさんの観光案内は2時間ぐらい続いて、やっと終了だ、と思ったら、トライシクルの青年が待っていたというね・・・。

サンチャゴ要塞の後は、更に北に行ったところにあるチャイナタウンへ行こう、と予定していた。馬車のおじさんは僕たちで仕事上がりだったようで、僕たちがこの後どこへ行くのか聞いて来た。チャイナタウンだと答えると、おじさんが住んでいるのもチャイナタウンの方だから、途中まで相乗りでタクシーに乗ろうと言うことになった。

そして、残念ながら1枚の写真以外、チャイナタウンからこの日の終わりまでは写真を撮っていなかった。もっと撮っておけばよかったなぁと思う。

チャイナタウンに着くと、馬車のおじさんは、タクシーの料金を割り勘にするから、お金をだしなさいというような事を言って来た。財布を出したのだが、タクシーのおじさんも、馬車のおじさんも目つきががっついていた。もし、人気がないところなら奪われるのではないのかというぐらいだった。

しかし、場所のおじさんは結局いい人だったと思う。別れ際に、旅で気をつける事を英語で教えてくれた。人気のない裏路地へは行かない事、カバンは、背負うのではなく、前にかけること等を教えてくれて別れた。

チャイナタウンに入ると、にわか雨がザァーっと降って来た。もちろん濡れるのは嫌なので、中華料理のファーストフード店に入って雨をしのぐことにした。

チャイナタウンで食べたハロハロ
チャイナタウンで食べたハロハロ(紫色のは、ウベ(紫芋)のアイス)

どうしてか覚えていないのだが、このファーストフード店では食事は取らなかった。たしか、チャイナタウンの美味しそうなレストランで食事を取ろうと思っていたのだと思う。この時、ベブちゃんに「We are in China town now, and it is raining」(チャイナタウンにいるけど、雨が降って来ちゃったー)とViberでメッセージを送ったのを覚えている。

ハロハロを食べていると、お店のガラス張り越しに、貧しそうな子供がじっと眺めているのに気がついた。そして、目があうと、「お金ちょうだい」とガラスの向こう側で手を差し出していた。可哀想だなぁ、と僕は同情したのだが、多田さんは冷静だった。「お金をあげたら、他の子も来て、もっとちょうだいってなりますよ」と諌めてくれた。可哀想ではあるが、ここは多田さんの忠言に従うことにした。しかし、奥に座っていた中国人のおじさんはお金をあげていて、たかられていた・・・。

雨が止みそうになったが、結局止まなかったので、ファーストフード店の近くの雑貨屋さんのようなところで赤い折りたたみの傘を買うと、タクシーを拾ってクバオのホテルに帰ることにした。

クバオの近くのショッピングモールまで戻ると、多田さんはATMでお金をおろし、「ジョリービー」というファーストフード店で夕食をとった。ジョリービーはハンバーガーとパスタのファーストフード店で、マニラの中に多くの店舗を持つ、フィリピンの人々に人気のあるファーストフード店だ。2018年に東京にも初のジョリビーの支店ができる、とググってでてくるが、本当のところはわからないらしい。

僕はハンバーガーとチキンのセットを、多田さんはパスタを注文したのだが、日本人はカモだと思われている。なんだか、注文した記憶のない、ビッグサイズのハンバーガーがもう一つと、多田さんはパスタが2皿ついてきて、注文していないものまでお金を払わされた。フィリピンもタイも(おそらく、カンボジアやベトナムも)貧困層の人々は、日本人から金を巻き上げることに罪悪感はないのだろう・・・。

食事を済ませると、ショッピングモールからホテルまで夜道を歩いて帰った。今思うと、この行為は危険だと思う。20時にさしかかろうというぐらいの時間だったので、外に人気は多かったが、夜道はたとえ二人でいても避けた方がいい、と今では思う。フィリピン留学者で夜の繁華街で銃を突きつけられたことがある、という話は、ググると簡単にでてくる。

ショッピングモールまでに戻ってくるタクシーの中で、多田さんが言いにくそうに話を切り出した。「田上さん、いびきが酷くて、18日も19日も僕は夜寝れませんでした・・・申し訳ないですが、部屋を別々にしてくれませんか?」と。これは本当に赤面の至りであった。ごめんなさい、多田さん。

ホテルに戻ると、多田さんはカウンターでお金を更に払って、部屋をもう一つ賃り、僕たちは別々な部屋で2日目の夜を終えることになった。

3日目はマージョリー女史に会いに行く日だった。