3日目は、多田さんの東京理科大学時代の英会話サークルの友人、マージョリーさんに会いに行く日だった。僕はマージョリーさんに尊敬の念を込めて、「マージョリー女史」と呼ぶことにする。

マージョリー女史は多田さんが東京理科大学時代に日本の国際基督大学(そう!ICUだ!)に留学しに来ていた、(ベブちゃんとフランクとは違い)純粋なフィリピン人女性だ。多田さんが大学生の若き頃、大学間の英会話サークルで友達になり、その後多田さんは不幸にも病気で大学を中退してしまい、マージョリー女史とは交流が途絶えてしまうのだが、E-mailでずっと連絡をとっていたのだという。その二人の交流が途絶えてしまってから、長い時間がたち、2015年9月21日に再開することができるのならば、実に15年ぶりの再開となるのだった。

マージョリー女史は、結婚をし旦那さんと一緒にフィリピンのルソン島、ヌエバエシハ州にあるフィリピン国立中央ルソン大学で女性教授として働いているということだった。

旅をしたからわかるのだが、ヌエバエシハ州というところへは、まず日本人は行かない。観光地ではない。農業で生活をしている田舎なのだ。そして、日本人の安直な期待を裏返すのだが、フィリピンは田舎の方が治安が良かった。人々は穏やかで、殺伐としていない。マニラは活気があるが、やはり悪い人も流れて来てしまうので治安が悪い。

初日と2日目に、クバオのホテルに泊まったのは意味があった。クバオには大きなバスターミナルがあって、中央ルソン大学までのバスがでているからだった。もちろん、この情報は日本語ではググってもでてこない。多田さんが英語でググって調べておいてくれた。クバオから、中央ルソン大学までは高速をつかっても5時間以上かかる、という話だった。感覚的には東京から大阪ぐらいまでだろうか。

3日目の朝は8時に1Fのレストランで待ち合わせようということにしておいた。僕は8時ちょっと前にレストランに行ったが、多田さんはまだいなかった。朝食券を持っていたので、食事を頼んで食べていると、8時10分ぐらいに多田さんが来た。「すみません、1時間も遅れて!」と多田さんは言ったが、1時間も遅れていない。おかしいな、と思ったら、多田さんの電波時計がどうやら日本時間のままだったようだ。多田さんの腕時計は9時10分ぐらいをさしていた。

3日目の朝レストランで
3日目の朝レストランで

ホテルをチェックアウトすると、中央ルソン大学行きの高速バスに乗るために、バスターミナルへと移動した。クバオの街中をバスターミナルまで歩いたのだが、日本の綺麗な街並みを知っている我々日本人からすると、あまり綺麗ではなかった。「それがフィリピンのいいところなんですよ」と、前向きな多田さんならそういうだろう。こう言っておいてなんだが、他の国の行った時に、日本と比較するとその国の文化や良いところが見えない気がする。日本と比較するとなんだか自分が損をしてしまうのだと思う。持論ではあるが、それが文化相対主義というものなのだろう。

残念ながらバスターミナルの写真はなく、それどころか中央ルソン大学の構内の写真もほとんどない。もっと写真をとっておけば良かった。

バスターミナルへ行くと、インフォメーションがあって、多田さんが英語で受付のフィリピン人おばさんから、中央ルソン大学へ行くにはどのバスに乗るべきかを聞いていたが、多田さんの英語でもなんだが通じていない感じだった。しかし、多田さんはタガログ語を駆使して更に情報を聞き出していた。インフォーメションの先にある駐車場にあるバスに乗れば良い、というところまでわかったみたいだった(僕はよくわからなかったので、ただついて行くだけでした)。

奥の駐車場に行くと、バスが数台停車していてどのバスだかわからなかった。しかし、多田さんが添乗員と思われる青年に英語でルソン大学へ行くかと聞くと、青年は数回頷いた。英語とタガログ語で行く道を切り開いた素晴らしい瞬間だった。

荷物をバスの横腹にある倉庫にしまうと、乗り込んで後方の座席に座った。5時間以上のバスの移動で、3時間ぐらいしないと休憩所に着かない、というので水分は控えた。

僕も多田さんもバスの中ではほとんど話さなかった。

ルソン大学への道のり その1
ルソン大学への道のり その1
ルソン大学への道のり その2
ルソン大学への道のり その2
ルソン大学への道のり その3
ルソン大学への道のり その3

この日天気がすごく良かったのを覚えている。日差しはすごく強く、コーラを沢山飲んだ記憶がある。3時間ぐらいすると休憩所に停車した。

僕たちが乗った高速バス
僕たちが乗った高速バス

ちっちゃい売店がある休憩所で、トイレは清潔感がなかった・・・。トイレで用をすまして、座席に戻ると再出発までに10分以上時間があった。すると小さなフィリピン人の女の子が、フィリピンのお菓子を売りにバスに乗り込んで来た。僕は幼女を可愛いと思うが、まったく興味はない。健気な小さい商人だと思ったので、買ってあげることにした。女の子は値段を発音したが、タガログ語か、スペイン語だったかで、僕は意味がわからなかった。すると、後ろのフィリピン人のおじさんが「Five peso」(5ペソだよ)といったので、5ペソで買ってあげた。

バスの写真を見てわかるように、バスからWifiでインターネット通信ができた。再出発してから、多田さんはマージョリー女史としきりに通信していた。マージョリー女史が言うには、中央ルソン大学の正門から入って、学内ホテルで待機していて欲しいということだった。

再出発してから30分ぐらいすると、バス停で何人か降りて、何人か乗車して来た。そのうちの一人がお菓子を売りに来たおじさんで、1つ5ペソだと言うので買ってあげることにして、「one」(一つ)と言うと、10個入りぐらいの一箱で、50ペソを取られた。日本人相手に、こういうあこぎな商売をすることは普通なことだとフィリピンの人々は思っている・・・。

クバオでバスに乗車して5時間30ぐらいだろうか、15時ぐらいに、中央ルソン大学の入口へと着いた・・・。