中央ルソン大学正門(グーグルアースより)
中央ルソン大学正門(グーグルアースより)

クバオで高速バスに乗って5時間30分。15時ごろに国立中央ルソン大学へと到着した。残念ながら正門の写真は撮影していなかった。上記の写真はグーグルアースでの写真だ。多田さんと僕は、写真の奥に見える歩道橋の下のバス停で降りた。ものすごく暑かったのを覚えている。

校内はすごく広い敷地となっているので、入口にはトゥクトゥクのおじさんたちが待機していた。多田さんがおじさんと交渉してくれて、100ペソで大学のホテルへと移動させてくれることになった。

そう、外国は学校内にホテルがあるのだ!しかし、このホテルはVIP用というわけではなくて、誰でも利用できるようだ・・・。

トゥクトゥクに乗って2分もしないうちに、ホテルに到着した。ホテルは教室と隣接していて、青空教室となっていた。中央ルソン大学は生物や農業をメインの学術としており、日本の文化の研究も勉強としてやるということだった。マージョリー女史はここで、彼女の学長の補佐をして、生徒たちに日本語を教えているのだった。

ホテルに到着するとマージョリー女史は、今受け持っている授業が終わったらホテルのロビーへ来てくれるということだった。ホテルの受付で多田さんが(たしか)3000ペソを払うと、部屋に案内された。

部屋はとても清潔で、ベッドがとても大きかった。

ベッドはすごく大きかった。クーラーも効いていた
ベッドはすごく大きかった。クーラーも効いていた
テレビもあった
テレビもあった

ホテルの部屋に荷物を降ろすと、ロビーへ戻った。受付では、生徒たちがロビーのテーブルを使用して勉強をしていたが、僕たちのために席を空けてくれた。校内の学生たちは皆穏やかで、のどかな雰囲気だった。そう、フィリピンの田舎は荒れた治安の悪い場所とイメージしてしまう人がいるだろうが、実際はスローライフを送る心休まる場所なのだ。

僕と多田さんはロビーでマージョリー女史を待った。望んでいたわけではなかったが、多田さんはマージョリー女史の写真は見せてくれおらず、僕はまだ、彼女の容姿を知らなかった。どれぐらい待ったか覚えていないが、長く待ったような気がした。すると、マージョリー女史がロビーに現れた。

小柄でジーズンズと緑色の服、それに茶色のサングラスをかけた女性だった。

多田さんと15年ぶりの再開。素晴らしい瞬間を傍目で見させてもらった。二人の喜びようは、僕などでは書きあらわすことはできない。

僕も、英語で挨拶をさせてもらった。マージョリー女史は、僕も快く受け入れてくれた。多田さんが友人にしている人は素晴らしい人が多い。彼女もその一人だと思った(ん?僕も素晴らしいよね!?)。

その後、マージョリー女史は大学構内を案内してくれた。

マージョリー女史と多田さん
マージョリー女史と多田さん
大学構内の原っぱ
大学構内の原っぱ
マージョリー女史と、多田さんと、わたくし
マージョリー女史と、多田さんと、わたくし
多田さんと、わたくし
多田さんと、わたくし

マージョリー女史は、まず、彼女の学長を案内してくれた。学長も僕たちを快く受け入れてくれて、英語でいろいろ話をした。すると、学長は実は東京農業大学に留学していた経験があり、日本の文化に興味があるようだった。とにかくすごくウェルカムしてくれていた。学長の元へ行く前に、構内にある銀行で日本円をペソに換金しようとしたら日本円の扱いはないと断られてしまった。その事を学長に話すと、「私が換金してあげるよ」と申し出てくれた。ATMで換金すると、1万円は、3800ペソぐらいであったが、学長は4000ペソと換金してくれるのだった。人柄的にもすごく良い学長さんだった。

その後、マージョリー女史は彼女の職場に連れいってくれた。生徒たちが彼女を呼ぶ時に「my teacher」ではなく「Mom」と呼んでいるのが印象的だった。

マージョリー女史は更に構内を連れていってくれたすると、日本の鳥居が建てられている場所があった。この年、中央ルソン大学では文化祭として日本の文化を取り上げているのだという。僕たち三人で鳥居の前で写真を撮った。

構内はとても広く、緑が多かった。行き交う生徒たちはみな穏やかで、心休まる場所だった。

構内めぐりを終えると、多田さんと僕はホテルで待機した。マージョリー女史の旦那さんが車で迎えに来てくれるのだという。この夜は、隣にある州、ターラックという場所のすごいレストランに連れていってくれるのだと、多田さんから聞いていた・・・。